厳格さに絶望した妻を見て、私の中の料理人が動き出した

前の記事で、「がん 食事」と検索したら正反対のことが並んでいた、という話を書きました。最後にこう書いています。十二月の末に始めたのは、そのときにできる四つのことだった。もっと厳格なやり方を知ることになるのは、年が明けてからだ、と。

今日はその続きです。

年が明けてから知ったやり方は、それまでとは別物でした。そして妻は、その中身を知って動揺しました。この記事は、そこから私が何を始めたかという話です。

前の記事はこちらです。「がん 食事」で検索したら、正反対のことが並んでいた。何も決められなかった一か月

本を三冊読んでから来てください

そもそもの入口は、ある先生から教わった一冊の本でした。自然療法の本です。昔からある本で、内容を今の言葉でざっくり言うと、動物性のうち四つ足のものは避ける、鶏と魚は食べてよい、というものでした。

一方で、食事療法を調べていると、別の名前にも何度も行き当たります。ジュースを大量に飲む方法です。当時の私は、どちらかに決めたわけではありませんでした。

正直に書くと、あのころのうちの台所は、その二つが混ざったような状態でした。本に書いてあることを両方少しずつ取り入れて、毎日をなんとか回していた。前の記事に書いた「混乱」は、決めたあとも続いていたということです。

そこへ、食事療法を専門に見てもらえるところを紹介してもらいました。

受診の前に、条件がありました。指定された本を三冊読んでから来るように、というものです。読んでから行きました。もともと本は読むほうなので、そこは苦にならなかった。

その三冊で、私は初めてひとつの言葉を知りました。ナチュラルハイジーンという考え方です。

中身をひとことで言えば、プラントベース・ホールフード。植物性のものを、精製せず、できるだけそのままの形で食べる。そして生であることを基本に置く。それまで私がやっていたことと重なる部分もあれば、まったく重ならない部分もありました。

受診した日に、進む方向は固まりました。

何をどう決めたかは、ここには書きません。決めたのは私たちですし、このブログに書くのは台所の話だけだと決めているからです。書けるのは、その日から台所で何が変わったか、というところからになります。

厳格さの中身を知った日

方向が固まったのはよかったのですが、その中身がなかなかのものでした。

塩を使わない。油を使わない。砂糖を使わない。動物性のものを使わない。精製したものを使わない。そのうえで、加熱をできるだけ減らして、生で食べる割合を上げていく。

十二月の末に決めた四つは、この時点でほとんど下地でしかなかったことになります。抜くものが増えただけではなくて、抜いたあとに何を食べるのかという問題が、はっきり立ち上がってきました。

妻は、はっきり動揺していました。

無理もないと思います。毎日のことです。一週間の話ではなく、この先ずっとこれを食べていくのかという話でした。しかも、そのころの妻は、体のことで頭がいっぱいのはずでした。そこへ食事の制約が積み上がってくる。

あのときの妻の様子は、いまでも覚えています。

私の中の料理人が動き出した

ここで一度、自分のことを書いておきます。

食事を変えるより前、私は十年ほど料理の仕事をしていました。フレンチです。中でも長かったのはガルドマンジェ、冷たい料理を受け持つ場所でした。サラダ、前菜、テリーヌ、ドレッシング。火を通さないものが担当だったと思ってもらえればいい。

その私が、塩と油を取り上げられた。

フレンチというのは、乱暴に言えば塩と油と火でできています。そこから塩と油を抜いて、火まで減らせと言われている。冗談みたいな話です。

けれど、動揺している妻を前にして、私が思ったのはそういうことではありませんでした。

これは自分の領分だ、と思ったのです。

治療のことは病院が決めます。私が決められるのは、その外側にしかない。前に別の記事でそう書きました。その外側というのが、まさに台所でした。そして台所は、十年やってきた場所です。

この制約の中で、続けられるものを作る。それができるなら自分だろう、と思いました。

そこから、探求の日々が始まりました。

塩抜きのレシピを、全部コピーした

まず、ネットを片っ端から探しました。

ありがたいことに、塩を使わないレシピを公開してくれている人がいました。同じような制約の中でやっている人が、自分の工夫を置いていってくれている。私が助けられたのは、このときも個人の記録でした。

見つけたものは全部コピーしました。手元に集めて、順番に作っていきました。

ただ、そのまま作ったのは最初のうちだけです。

作ってみると分かるのですが、レシピというのは、その人の台所と、その人の舌に合わせて出来上がっています。同じ材料で同じ手順を踏んでも、うちの食卓に置いたときに同じにはならない。それに、うちには「生を基本にする」というもう一段の条件が乗っていました。

だから、途中から参考にするものを変えました。レシピそのものではなく、案のほうです。

塩がないぶんをハーブとスパイスで埋めるという方向。加熱した根菜を組み合わせて、甘みで輪郭を作るという方向。そういう考え方だけをもらって、中身は自分でアレンジしていく。この進め方に切り替えてから、ようやく前に進みはじめました。

土台は、結局この四つに落ち着いた

そうやって手を動かしているうちに、味の土台が四つに絞られていきました。

  1. 西洋エシャロットのみじん切り
  2. 酸。レモン汁、グレープフルーツ、オレンジ
  3. アボカド、ナッツ、種子類。ゴマ、フラックスシード、ヘンプシード。これが油の代わりです
  4. トマトのうまみ

たいがいは、この四つで足ります。

並べてみて、自分でおかしくなりました。これはヴィネグレットの形だからです。

刻んだエシャロットを酸に当てて、そこへ脂を合わせる。フレンチのドレッシングは、まさにその順番で組み立てます。私が現場で、何百回とやっていたことでした。

塩と油という柱を二本とも抜かれて、材料は全部入れ替わっているのに、組み立ての型だけは残っていた。オイルの位置にアボカドと種子が入っただけで、あとは同じことをやっている。

十年やってきたことが、こういう形で役に立つとは思っていませんでした。

「これでいけるね」

その四つを土台にして、うちの基本の一皿ができました。

作り方の順番はこうです。エシャロットのみじん切り、トマトの角切り、ハーブの細切り、つぶしたアボカド、レモン汁、ミルで粉にしたフラックスシードとゴマ。これを先にボウルの中で混ぜてしまいます。この時点で、ドレッシングの役をするものが出来上がっている。

そこへ野菜を入れて和えます。サニーレタス、レタス、ルッコラ、水菜といった葉物に、パプリカ、ブロッコリー、セロリ、きゅうり、千切りにした紫キャベツ。

器に山盛りにして、上からブロッコリースプラウト、ニュートリショナルイースト、ヘンプシードをまぶす。

これが、うちの食事のベースになりました。おかずではなく、これが主食だと思ってもらったほうが近い。とにかく山盛り食べます。ここに加熱したものを足す日もあります。根菜ときのこをオーブンで焼いただけ、というようなものです。

これを出したときに、妻がこう言いました。

これでいけるね。

それだけです。感想としては短い。それでも、あの日の動揺していた顔を見ていた私にとっては、そこが折り返し地点でした。

制約が減ったわけではありません。塩は相変わらず使えないし、油も使えない。変わったのは、この条件のまま明日も明後日も食べていけそうだ、と二人とも思えたことだけです。

効果があったかどうかは、私には分かりません。分かるのは、続いたということだけです。

おわりに

この日を境に、私の探求は止まらなくなりました。

朝に何を飲むか。塩の使えない台所で、味噌と醤油の代わりに何を置くか。同じサラダを毎日食べて飽きないためにどうするか。四つの土台を、どういう割合で組み合わせるか。そのひとつひとつに、そのあと何年もかけています。

味の組み立ての細かいところは、別の記事に書きました。無塩の味噌と醤油を一か月かけて探した話も、こちらに書いています。

朝のほうは、もう書いてあります。あのとき始めたものが、十一年たった今も続いています。

11年つづけている朝のグリーンスムージー。前の晩に仕込むと、朝は回すだけになる

この記事より前、十二月の末に何を食べていたかは、こちらに書きました。食事を変えた最初の1週間、実際に食べたもの全記録

タイトルとURLをコピーしました